PAROやLOVOT、NICOBOといったコミュニケーションロボットについて語られるとき、「癒し」「話し相手」「孤独の解消」といった言葉がよく使われます。
確かにそれらは、ロボットがもたらす大切な価値の一部です。
しかし、実際に現場で高齢者とロボットの関わりを見ていると、それとは少し違う光景に出会うことがあります。
多くの高齢者が、ロボットを、ペットのように、あるいは身近な存在として可愛がり、世話をし、気にかけるのです。
なぜ「世話される側」であるはずの高齢者が、ロボットを「世話したくなる」のか。
そこには、ロンジェビティ時代の暮らしを考えるうえで、見過ごせない重要なヒントがあると、私は考えています。
私たちは、年齢を重ねると、少しずつ役割が減っていきます。
仕事を引退し、子育ても終わり、家族や社会から「してもらう側」になる場面が時間の経と共に増えていきます。
介護や支援が必要になること自体は、決して悪いことではありません。
けれど同時に、
こうした感覚を失うと、人は驚くほど元気をなくしていきます。
「何もしなくていいですよ」という優しさや気遣いが、結果として“居場所”や“存在意義”を奪ってしまうことも少なくありません。
高齢者にとって「自分の出番」を失うということは、それほど大きな出来事なのです。
殆どのコミュニケーションロボットは、スイッチをONにするだけでは役立たず、人の手を必要とする存在です。
この「完全ではないこと」が、実はとても重要なのです。
高齢者はロボットに対して、感情移入し始め、「話してあげなきゃ」「構ってあげなきゃ」「大丈夫かな」と自然に気持ちを向け始めるようになります。
ロボットは、高齢者を助ける存在である前に、助けられる存在になる。
ここに、世話したくなる理由があるのではないでしょうか。
ロボットの世話について、決して重い責任はありません。失敗しても怒られないし、完璧である必要もない。
それでも、
そんな小さな関わりが、高齢者の生活にリズムと意味を生み出します。
世話をすることで、高齢者は再び「与える側」「関わる側」に戻ることができるのです。自分の出番が生まれるのです。
これは癒し以上に、尊厳の回復に近い変化ではないでしょうか。
ロボットを世話することは、手段にすぎず、最終ゴールではありません。
重要なのは、その先にある変化です。
ロボットを通じて、
ロボットの存在、人と人との関係を再び動かす入口になるということ。
役割とは、最初から「ボランティア」「就労」「〇〇活動」といった形で与えられるものではありません。
「誰かのために何かをしたい」というごく小さな気持ちから始まるものだと思います。この小さな役割の感覚が、やがて人との関わりや、地域との接点へと広がっていく。
私は、そこにテクノロジーが果たせる本当の役割があると考えています。
新しい技術を、高齢者の暮らしにどう届けるのか。
それを「便利な道具」や「人の代わりになる機械」で終わらせず、「役割」や「社会参加」につなげていくにはどうすればいいのか。
その答えは、ロボットの性能表ではなく、高齢者がなぜロボットを世話したくなるのかという感情の中にあります。だから、コミュニケーションロボットは、スイッチをONにするだけでは役立たないのです。大切なのは、それを「何のために」「どんな関係を生み出すために」使うのかという視点なのです。
人は、誰かを世話できるときに、もう一度、自分を取り戻す。
コミュニケーションロボットは、そのきっかけを静かにつくる存在なのです。
「いきいき長寿社会推進者セキグチ」の関口です。
テクノロジーを通じて、高齢者がより豊かに社会とつながる未来を目指し、介護ロボット分野から一歩広げた活動に取り組んでいます。私の経歴やこれまでの取り組みについては、プロフィールページで詳しく紹介しています。
また、活動の背景や大切にしている考え方は、ビジョン・メッセージページにまとめています。ぜひあわせてご覧ください。
PAROやLOVOT、NICOBOといったコミュニケーションロボットについて語られるとき、「癒し」「話し相手」「孤独の解消」といった言葉がよく使われます。
確かにそれらは、ロボットがもたらす大切な価値の一部です。…
テクノロジーと社会参加の両面から、長寿社会をより豊かにするための視点をわかりやすくお届けしています。
「介護ロボット経営実践会」に代わり、新ブランド「いきいき長寿社会推進者 セキグチ」として新サイトを公開しました。